瑠璃真依⼦さん

⾃閉症スペクトラム障害、注意⽋如多動性障害、当事者
岡⼭⼤学理学部数学科卒業。その後、公⽴中学校教員として⼆年間勤務。

その後、休職を経て、岡⼭⾼等学院で講師をしている。また、当事者の声を伝えるため、岡⼭を中⼼に講演
活動をしている。趣味はバスケットボール、ジム、⽔泳、スノーボード。
「どろだんごの会」代表

 

 

 

「私と相談」

学⽣時代は相談するといえば、両親だったり兄弟だったり、家族が多かったのですが、近い関係なので、濃密な話は出来ました。しかし、情報量が少なく濃密になりすぎて客観的な意⾒をもらえないことも多く、だんだんと第三者に相談するようになっていきました。

初めに相談したのは、⾼校⽣の時、誰か助けてほしいとの気持ちから、「命の電話」です。⼆⼗四時間受け付けると書かれていましたが、夜間は通話中のことがほとんどでつながることは数回しかありませんでした。そして、「学⽣相談メール」にたどり着きます。電話が苦⼿だったこともあり、メールだと気持ちを整理して相談できたのがとてもありがたかったです。しかし、返信があるのは三⽇後から⼀週間後。私の場合、⾃分では切⽻詰まっていて早急に返事が欲しかったので、しんどい思いをしました。

そして⼤学時代には、「保健管理センター」で 4年間、週に 1度のペースで相談していました。パニックになったときの対処法や優先順位の付け⽅など、いろんな⽅法を教えてもらいました。本当に⼼の拠り所だったし、ここがあったから学⽣⽣活を送ることができました。

そして、「発達障害」と診断を受け、藁にもすがる思いで駆け込んだのが、「発達障害者⽀援センター」でした。親⼦で⾏ったのですが、そこで、今までの気持ちを洗いざらい聞いてくれた後、「あなたには⼒があるし、良い所もたくさんある。今は本来の⼒が発揮できていないだけ。あなたに合う仕事は絶対あります。⼀緒に探しましょう。」そう⾔ってくれました。こんなに私の気持ちを分かってくれたのは今までで初めてで、本当に救われたと思いました。

そこからは、⽀援者と⼆⼈三脚で試⾏錯誤しながら家族と共に歩んできました。最初は、病院の先⽣にもなかなか相談できませんでした。「困っていることありますか︖」と⾔われても、「⼤丈夫です」と⾔ってしまい、帰宅してから後悔することが続いていたので、今は、メモに相談内容をあらかじめ書いて⾏ったり、⽀援者と先に⾯談して相談したいことをまとめたりして、医師に診察してもらうようにしています。⾃分で何に困っているかが分かり、⾃分の⾔葉で相談ができるようになって、だいぶ気持ちがすっきりし、⽣活が楽になりました。

⽣きづらさを感じている⽅に伝えたいことは、誰でもいいから思い切って相談してほしいということです。分かってくれる⼈、助けてくれる⼈は、どこかに必ずいます。良き⽀援者と巡り合うまで、諦めずにいろんな⼈に助けをもとめて発信してほしいと思います。

専⾨家や第三者の⼈は、⾃分が気づかなかったようなことをアドバイスしてくれたり、いろんな⽅法や、やり⽅を提⽰してくれます。その中から⾃分で選んで進めばいいので、やはり勇気をもって相談することは、スタートラインに⽴つことだと私は思っています。そんな⼈がいてくれたら本当に⼼強いです。この世の中を⽣き抜くために、⼀⼈でも多くの味⽅を増やし、⼀緒に闘うことで、少しでも⽣きやすい⼈⽣に変えていきましょう。